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新徳禅寺 ~ 策士清川八郎の目論見は崩れ去った プリント メール
 

庄内藩の藩士清川八郎の提案を受け入れる形で、江戸幕府は将軍家茂公の上洛に際する警護を目的とした浪士組を結成し、京へと派遣します。総勢200名を超える浪士たちは一路中山道から上洛し、この新徳禅寺へと集まったのでした。
集結した浪士組を前に清川八郎は熱弁をふるいます。実はこの計画は清川八郎の謀略であり、集めた勢力を勤皇の旗印のもとその尖兵としようというものでした。これに反発したのが芹沢鴨を始めとする水戸派と、近藤勇率いる試衛館出身のメンバー達でした。自らの弁舌を持って浪士組を掌握できると考えた清川の考えは崩れ、残留した浪士組はその後新撰組へと姿を変えていくのでした。
残念ながら新徳禅寺は一般公開されていませんが、境内はほぼ当時のままであると言われています。

新徳禅寺(しんとくぜんじ)
京都市中京区賀陽御所町48


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