京都新発見サイト 逸都物語

ホーム arrow 京のほんまかいな arrow 第五回 官橋と「を」の字のこと
第五回 官橋と「を」の字のこと プリント メール
作者 水井康之   

Image
三條(三条)大橋はご存じのように、江戸の日本橋を起点とした東海道五十三次の終点で、大変歴史上重要な橋であったことはあまりにも有名です。

「この三條大橋は、お上の造った橋でつまり官橋の代表のような橋やで」と件(くだん)のオッサンが、又、大変興味のある話しをしてくれたことがありました。


「それでな、官橋と呼ばれる橋は、京(みやこ)の辺りには宇治川にかかる宇治橋と、その上流の滋賀県の大津市にある瀬田川にかかる瀬田の唐橋などは典型的な官橋やなあ。それに宇治橋の下流の淀川にかかる豊後橋(今の観月橋)なんかがそうやったんや。ところが豊後橋は残念ながら戊辰戦争で焼け落ちてしまい宇治橋もその戊辰の五月の大洪水で流れてしもたんや」 と続けて、「これらの官橋には、必ず綺麗な擬宝珠(ぎぼし)のある欄干があって、官橋ということがすぐわかるようになってたのや」。

Image
現在は擬宝珠のない観月橋と擬宝珠のある宇治橋は鉄筋の立派な橋になっています。
そういわれてみると、四条大橋や丸太町橋など、鴨川にかかる殆どの橋には擬宝珠のある欄干の橋はありませんね。
そこで一寸調べてみましたら、明治六年頃より欄干に擬宝珠のない橋が、民間の篤志家によって次から次へとできあがってきたのです。勿論、そのころより後は民間でも擬宝珠をデザインした橋は造られてきたようです。
今のように国や府、市町村が橋をかけるのが当たり前になってきたのは明治三十年に入ってからのことであった、と市史にありました。お上の官橋があったり、民間の力で四条大橋など多くの橋が出来てきたとは、ほんまかいなと思う話ですね。

ところで、この三條大橋には小生にとって、懐かしい思い出があります。

それは、確か、今から五十年ほど前の秋だったと思いますが、あたかも芸術の秋真っ最中で京都市主催の学校写生大会があり、鴨川辺に大勢の生徒が写生に 行ったことがありました。今思うとほんまにはずかしいことをしていたんやな、と思います。
画用紙を地べたに置いて、絵の具をべたべた塗っていたのですから、後ろにはたくさんの人が、どんなもんを画いとるのやろと覗いたはったんです。
小生も、三條大橋の下流の右岸の、ちょうど先斗町歌舞練場の真下に陣取って、あの偉大な橋脚の三條大橋を写生していたのです。歌舞練場(かぶれんじょう)というのは、京都の花街(はなまち)である先斗町(ぽんとちょう)の舞妓はんや芸妓はんが、唄や踊りを習って、その成果を披露される劇場です。

Image

いつもうまく描けないで、ああでもない、こうでもないと一所懸命、考えて描いていると、ろくな絵しかできないのですが、この三條大橋を描いたときはなにも考えず無心に筆を動かしていたら、突然空の上から、
「わー綺麗やわ、ほんまに、うまいこと描けてるわ」
と声が聞こえてきたのです。

見上げると、歌舞練場の窓から、綺麗な姉さんが、絵を覗いて声をかけてくれはったんです。
あの時は、やんちゃざかりの真最中で、恥ずかしいやら、またちょっとうれしいやらでしたが、その時の絵が、おかげさんで特選の賞をとり、ながいこと母校に貼ってもらってたことを思い出します。
それ以来、絵が好きになったのですが、あの三條大橋のような傑作はなかなか描けませんね。
丁度、歌舞練場は「秋の鴨川をどり」が開催されていたときやったのです、大人になったら見にいきたいなあ、とかなんとか思いながら、あのときほめてくれはった綺麗な姉さんと仰向いで、一言二言しゃべったりしたことが妙な興奮をおぼえた、ええ思い出になっています。

ところで昨年やったと思いますが、東京からやってきた友達に、そんな話をしながら鴨川を案内してたら「鴨川をどり」と先斗町の歌舞練場に大きな看板が 貼ってあるのを見て「をどり」の「を」がなぜ「おどり」の「お」とちがうのかと質問されて一寸とまどい返事に困ったことがありました。
そこで、ちょっと調べて見ましたら京都の花街には「都をどり」「鴨川をどり」「北野をどり」「京おどり」「祇園をどり」の五つの花街の「踊り」があります、その中で「京おどり」だけが「お」を使っています。

Image

件のオッサンに聞くまでもなくすぐ分かりました。
広辞苑をひくと、旧かなつかいが「をどり」で新かなつかいが「おどり」だと言うことが分かりました。
「京おどり」だけが新かなつかいを採用しているのですね。京都のことやさかいに「を」になにか深い意味でもあるのかと意気込んで調べてみたのですが、新旧の使いかただけでした、と結論をだしました。
ほんまはもっと深い訳があるのやでと、知ってる方がおられましたら、教えて下さいお願いします。
あんまり、あほみたいな説明ですので、東京の友達にはまだ知らせないでおこうと思っています。
「イヤー失礼しました、では又」

 
< 前へ