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十一月~お火焚きさん プリント メール
作者 たきねきょうこ   

お火焚きまんじゅうとおこし 実りの季節の到来。

 ほくほくの焼き芋にゆで栗、そして、炊き立ての新米。
 どれもこれも自然の恵みをその身一杯に溜め込んで、はじけんばかりに熟したさまは、とっさには、いただくのがもったいないくらい。
 でも食いしん坊な先人たちは、より一層美味しくいただくために、そして来るべき厳しい冬を生き抜いていくために、火を見つけ、火種を絶やさず、永々とその火を大切に守り、またその火に守られながら、炎の恩恵に絶えず感謝して暮らしてきました。

 十一月になると、あちらこちらで揺らぎ始める、「お火焚きさん」も、日ごろお世話になっている火への感謝と畏敬のおまつりです。

 今でも、火を扱われる古い商家・・・染物屋さんや造り酒屋、食べ物屋さん、お風呂屋さんや鋳掛け屋(いかけや)さんなどでは、霜月のそれぞれ決まった日になると、お釜やはしりもと(台所)を清め、かまどの上にお不動さん(不動尊)の祭壇をこしらえて、お供え物をあげ、お火焚きをなさいます。

 家族や店の働き手それぞれの願いごとを記した護摩木(ごまぎ)が、祭壇の前に井桁に組み上げられ、「日にち、おかげをこうむりまして、おおきにありがとうさんです」と、火を点けた家長が、手をたたきお礼を唱えると、護摩木は火の粉を散らしながら、勢いよく燃え上がっていきます。
 染物屋を営んでいた実家でのお火焚きの様子を、晩年、母は、幼かった自分にも護摩木をいただけたことが、一人前扱いされたようでとてもうれしかったと、童女のような表情で話してくれましたっけ。

 でもそれほど物資の豊かでなかった当時、幼い母をはじめとする子供たちの本当のお楽しみは、お火焚きのお供え物のおさがりだった様子。

 さてそのお供えはというと、まず、「お火焚きまんじゅう」。
 これは、宝珠の玉(火焔玉)の焼印がしっかり押された、こしあんの入った紅白の小判型のおまんじゅうで、蒸し上げるときに下に敷く木の皮をはがしそこねて、一緒に口に入れてしまって、あわててそれだけ取り出したり。

 それから次は、「おこし」。
 今年の新米で作られたおこしは、三角のかたちに作られていて、柚子の香りがほんのり香っていましたっけ。

おみかん(蜜柑) そして最後は、三宝に山のように積み上げられた「おみかん」。
 このみかんを護摩木の残り火で焼いていただくと、その冬中、風邪を引かないといわれていて、みんなで、熱々のおみかんを手の中で転がしながら、頬張ったのだそうです。
 昭和のはじめごろの堅実で、つつましやかな日々の暮らしぶりが、甘酸っぱいみかんの香りと一緒にかぎろい立ってくるようです。



 
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