六月~詩仙堂(しせんどう)と京鹿子(きょうがのこ) |
作者 たきねきょうこ | |||||||||||
露をしたため濡れそぼった下草は、まるで水墨画の筆さばきのよう。湿り気をたっぷり含んだ濃密な大気に、何時しか木も山も輪郭があいまいにぼやけていく、6月・水無月。 ここ一乗寺で、山際から湧き出た靄に包まれ、いっそう侘び寂びた風情をかもしているのが、詩仙堂。深い緑陰にせめぎあう参道を抜けて老梅関の門をくぐる頃には、もう庭の「僧都」(鹿おどし)の音が響き渡ります。 詩仙堂は文人として名高い石川丈山が寛永18年(1641年)に造営した邸宅で、寛文12年(1672年)90歳の天寿を終えるまで、丈山はここで朱子学を論じ、漢詩に親しみ、煎茶を楽しんだと伝えられています。 風雅に秀でたこの文人は、この地に自分の美意識の結実のような住居を建て、またこの地の勾配を生かした見事な庭を作って、四季の移ろいを愉しみました。 その中でもこの季節、茶室・残月亭の手前で、山風に紅色の小さな花穂を揺らして鮮やかさを際立たせるのが、京鹿子。植え込みの蔭から、可憐な花を無数に踊らせて、六月の池辺を風情豊かに飾ります。 丈山翁がその趣味の高さで集め、植え込んだ草木は、どの季節もそれぞれ詩仙堂を美しく彩って、お見事そのもの。とりわけ梅雨曇りの詩仙堂は、名残りのサツキや咲き初めた額アジサイ、池に映る花菖蒲や睡蓮の花蔭・・と枚挙にいとまがない程の贅沢さ。 詩仙の間に腰を下ろして庭を見遣ると、咲きそよぐ京鹿子の花穂と一緒に、さもありなんと満足げな丈山翁の笑みが、はらはらとこぼれ落ちていくようです。
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