四月~常照寺と満天星躑躅(どうだんつつじ) |
作者 たきねきょうこ | |||||||||||
薄い紗をまとうように、山裾から稜線が萌黄色にふんわりと霞立って、盛りの春、繚乱。 北区鷹ヶ峰の山々も、街中より少し遅い春化粧によそおい立つ美しさ。あのうっすら紅をさしたように山際を彩るのは、山ツツジでしょうか。山藤に山吹の黄金色の花群も見え隠れして、本阿弥光悦が徳川家康からこの地を拝領した往時、さながら。 その鷹ヶ峰の西端、常照寺の境内で、小さな白い花を鈴なりにつけているのは、幾つものドウダンツツジ。薫風に身をやわらかに躍らせて、芽吹いたばかりの小さな卵形の葉と筒型の花を一緒に揺らせるさまは、春の光の化身のよう。 このドウダンツツジ、元来、伊豆半島以西の山地に自生する高さ1~3メートルと小ぶりな身の丈の落葉低木で、春の花の可憐さに加えて、秋の紅葉の朱赤に燃え立つような見事さで人々を魅了し、観賞用として今では北海道から沖縄まで広く庭園に植えられる他、生垣などにも利用させています。 枝の分岐のかたちが、結び灯台(三本の支柱を真ん中で結び、上下を開いて安定させ上に灯明台を載せたもの)に似ていることから「トウダイ」が転じて「ドウダン」になったのだとか。また漢字の「満天星」は、昔、仙宮で太上老君が霊薬を練るうち、誤ってこぼした玉盤の霊水がこの木に散って、凝って壺状の玉になり、まるで満天の星のように輝いたという、中国の伝説にちなんでいます。本当に花時の「星を散らしたような」しららかさは、伝説もさもありなんと得心させてしまうほどの美しさ。 満天星の揺れる常照寺は、元和二年(1616年)に身延山第二十一世日蓮宗中興の祖といわれる日乾上人が、本阿弥光悦の土地寄進を受けて開創した鷹峰檀林(学問所)の旧跡で、往時は広大な境内に大小三十余棟の堂宇が並び、多くの学僧で賑わっていた様子が縁起に伝えられています。また寛永の頃、名妓として一世を風靡した吉野太夫ゆかりの寺としても名高く、光悦の縁故のよって日乾上人に帰依し、二十三歳の時に寄進した朱塗りの山門「吉野の赤門」が、今も訪れる人を真っ先に迎え入れてくれます。 ドウダンツツジは、太夫の墓所の南に出来た真新しいお茶室前にも植えられていて、鷹ヶ峰一帯の春日を集めるように今日も輝き立っては、お二人への何よりの散華となっていることでしょう。
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