三月~浄瑠璃寺(じょうるりじ)と馬酔木(あしび) |
作者 たきねきょうこ | |||||||||||
うららかな春の陽気が、木々の芽吹きを促しあちらこちらの蕾をふくらませて、山も野も模様替えの真最中。この時期の、見事なばかりの手際のよさに毎年ながら、心底、感心しているうちに、季節は弥生からもう卯月へ。 京都府相楽郡加茂町。もうすぐそこは奈良というこの一帯でも、市内より一足早い春の訪れにはなやぎ立っているよう。
平城京から見て山の背に当たるこのあたりは、古くから山背(やましろ)=山城と呼ばれ、恭仁京跡や美しい古刹の点在する、歴史的な風情の色濃く残るのびやかなところ。その中でも石佛の里として知られる当尾(とうのお)の山あいに、ひっそりとたたずんでいるのが浄瑠璃寺です。ひなびた往時そのままのような藪や畑を縫って山門に至る参道は、この季節、鈴なりの馬酔木の花飾りで縁どられて、一層の美しさ。 馬酔木はツツジ科の常緑低木で、枝先につけた壷型の小さな花々を、春先の風に密やかな音を立てて垂らした房ごと揺らめかせます。花にはかすかな香りが、また枝葉には「アセボチン」という有毒成分が含まれていて、馬が食べると酔って足がしびれたようになることから「足癈(あしじひ)」が変じて「アシビ」と呼ばれるようになったといわれています。またその成分を利用して昔は葉を煎じては、殺虫剤として使ったのだとか。 馬酔木に彩られた山門を抜けると、平安時代そのままの浄土式庭園の池をはさんで、東に朱塗りの三重塔が、西には天平風の美しい屋根を持つ阿弥陀堂が、木々に抱かれるようにおだやかに対峙しています。1107年に造られた阿弥陀堂には、九体の阿弥陀如来像が一直線におまつりされ、お寺の別名「九体寺(くたいじ)」の由来ともなっています。 三重塔にまつられた薬師如来は人々を西方の極楽浄土へと送る「遺送仏」とされ、宝池の西側で迎える「来迎仏」の阿弥陀如来によって、衆生を楽土へといざなってくださるのだそう。 夕暮れ時、三重塔から池越しに見渡す阿弥陀堂は、残照をさながら光背のように身にまとって極楽浄土もかくありなんという荘厳さ。その美しいたたずまいは、古くは985年源信和尚の「往生要集」から、「古寺巡礼」の和辻哲郎、また門の傍らの馬酔木の印象深さを著書「大和路」に綴った堀辰雄まで、多くの感性豊かな人々を魅了し続けています。 やがて、浄瑠璃寺が楓の新緑に覆われる頃、参道は再び馬酔木の新芽で今度は紅くかがやき立っていくことでしょう。 磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど
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