ニ月~等持院(とうじいん)と有楽椿(うらくつばき) |
作者 たきねきょうこ | |||||||||||
みぞれまじりの鬼北の風にせかされるように、暦は寒から立春、そして啓蟄ももうすぐ。心なしか日差しもほんのりと柔らかさを増して、如月・春待ち月。 早い春の香りにいち早く気付いた鳥たちは、花の蜜をついばむのに忙しげな様子。
この樹齢四百年に達する有楽椿は、慶長十一年(1606年)に豊臣秀頼が寺を復興した際に植えられたと伝えられており、高さ十五メートル、根回りが一メートルもある名木で、今もこの西庭の主のように延び立っています。有楽椿は、一般には「太郎冠者」と呼ばれる侘助型の椿で、織田信長の弟で茶人の織田有楽斎が好んだことから、関西では特にこの「有楽」の名で親しまれ、学名も「Camelia Uraku」と名付けられています。 足利家の菩提寺としても名高い等持院は、暦応四年(1341年)足利尊氏によって創建された臨済宗天龍寺派の禅寺で、足利歴代の将軍像を安置した「霊光殿」の他、方丈や茶室「清漣亭」が衣笠山の南麓にゆるやかに広がっています。 庭園は、天龍寺の名僧、夢窓国師の作と伝えられ、中央に尊氏の墓と伝えられる宝篋印塔(ほうきょういんとう)※の祀られた北庭と、芙蓉の花をかたどった池を有する美しい西庭が古い木立でゆるやかに区切られています。 庭の芯柱のような有楽椿の傍らで馬酔木(あしび)の白い花が揺れだすのも、もうすぐ。 ※宝篋印塔:宝篋印陀羅尼(ほうきょういんだらに)と呼ばれるお経を納めるための塔
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