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ホーム arrow みさとみちくさ arrow 六月~鹿王院(ろくおういん)と夏椿
六月~鹿王院(ろくおういん)と夏椿 プリント メール
作者 たきねきょうこ   

夏椿 真夏を想わせる日中の日差しから、夜半は一転して稲光をともなった激しい雷雨。

 時に季節は移ろうために、内に秘めたこんなに大きく強い力であらがいあうのですね。そして、やっと迎えた梅雨入り。草木のほっとした息遣いがこぼれてくるようです。

 右京区・嵯峨の古刹・鹿王院の夏椿も、白い清楚な花々から雨粒をしたたらせて、一層瑞々しさを際立たせています。
夏椿は、舎利殿を見渡す庭園の左奥に、直線的な美しい枝を梅雨空に向けてすっくと対峙させています。高さ十メートル、樹齢三百年のこの木は、寛文年間(1661~73年)堂宇の再興にあたって植えられたものと伝えられています。

鹿王院の庭園 この夏椿は、別名をサラノキ、また沙羅双樹(さらそうじゅ)とも呼ばれ、禅寺に植えられることの多いツバキ科の落葉高木です。これは、お釈迦様が入寂時にその根元に横たわったとされる沙羅双樹の木が、夏椿だと誤って伝えられたことによるもので、本当の沙羅双樹はヒマラヤ原産のフタバガキ科の常緑樹なのだとか。でも夏椿のしららかな花は、昔の人が聖なる木と見紛うたことも得心してしまうほどの、清らかで静かな美しさで溢れんばかり。江戸時代中期頃には寺院に植えられるようになり、やがて庭木としても広がっていったようです。

 鹿王院は、足利義満が康暦二年(1380年)に創建した臨済宗の禅寺で、開山堂を建立した折、野鹿が群れをなしたことからこの名で称されるようになったと伝えられています。山門には義満の筆による「覚雄山」(かくゆうざん)の扁額が揚げられ、うっそうと緑をしたたらせた木々が今も石畳を両側からふちどって、幽玄さをかもし出しています。
有名なあの一休禅師も応永二年・十二才の折に、この山門をくぐって維摩経(ゆいまきょう)をここに聴きに来ておられるのだそう。まだあどけなさを残したくりくり坊主の一休さんの後姿が、緑陰に一緒にすい込まれていくよう。

 また庭の右側に位置する舎利殿は、二層の重厚な建造物で、内部には源実朝が宋より招来した仏牙舎利(ぶつげしゃり)が四天王像に守られた美しい多宝塔に安置されています。
仏牙は天下泰平の霊仏とされ、歴代の天皇から尊ばれ、礼拝供養されてきたのだとか。
その庭の苔の上に、数え切れないほど散り敷いていく夏椿の花々は、私にはやはり平家物語の冒頭「・・・沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」象徴のように想えてならないのですが。

 「まさに夏の夜の夢の如し」・・・夏椿が散り透いたら、いよいよ夏本番です。

鹿王院山門

鹿王院(ろくおういん)

説明 正式には覚雄山仏牙寺鹿王院。開山は義満の師、普明国師で、京都十刹の第五に数えられる名刹。本堂には運慶作と伝えられる釈迦十大弟子像がまつられている他、毎年十月十五日には「舎利会」が営まれ、仏牙舎利の秘仏が年に一度御開帳されています。
住所 京都市右京区嵯峨北堀町24(Googleマップで表示
交通 京福電鉄「鹿王院駅」下車 徒歩5分
JR嵯峨野線嵯峨嵐山駅下車 徒歩5分

 
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