作者 たきねきょうこ
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年も改まって、常緑樹のときわのみどりが沁みる新春。
中でも榧(カヤ)の木は、つややかな葉色が久しい栄えの象徴とされ、今も、おめでたい新年のお飾りに用いられ、濃緑色の彩りを添えています。
寺町通りの北のつきあたり、鞍馬口を少し下がった東側に位置する天寧寺さんは、山門からのぞむ景色がまるで一枚の絵をはめ込んだように見えることから「額縁門(がくぶちもん)」と呼び慣らわされている、曹洞宗の禅刹です。
山門からはその名の通り、鐘楼や棕櫚の木越しに、遠く比叡山までをまっすぐに借景として望むことができ、その撮り込み方の見事さは、先人達の美意識の高さのあかしそのもの。
このお寺の本堂の西に、大きな榧の木が立派な枝を四方に伸ばし、今も豊かに葉を茂らせています。高さは十四メートル、幹回りも五メートル近いこの巨木は、天明の大火にも焼け残ったと伝えられ、市の登録記念樹に指定されています。
比叡おろしの強い北風にあおられて、ねじれ上がった枝葉を揺する鈍い葉ずれの音は、この老木のこれまでの長い歳月の年輪が、まるでともに響き合い、木霊となって木肌からわきあがってくるよう。
このイチイ科の常緑喬木は、雌雄が別株の珍しい種で、四月頃に花を咲かせ、秋、十月頃に楕円形の実をつけますが、熟すと外皮が割れ、褐色のアーモンドに似た種子をのぞかせます。種子は香りが強く、油分が多いため食用油としても重宝がられ、またそのまま生で食べても美味しいことから、山際の人々は「ハチノコ」と呼んで珍重したのだとか。
また幹は、とても堅くて腐りにくい上、キメが細かく木目が美しいため、造船材や浴室などの材に用いられ、また碁盤や将棋盤の中では、今も最高級品とされています。
面白いのはこの木を火にくべると、蚊は匂いを嫌がって逃げるのですが、ムカデはこの香りを好んで寄ってくるのだとか。その昔、蚊遣り(カヤリ)として使われていたことが、榧(カヤ)の名のいわれのひとつになったともいわれています。
榧の木の他にも天寧寺さんには、四季折々の草木がひっそりと大切に慈しまれていて、季節ごとに訪れる人々の目を楽しませてくれます。
また優雅な公家風茶道・宗和流を起こした茶人・金森宗和(かなもりそうわ)の墓所もあり、山門前には石碑が建立されています。
母も夫もこのお寺で菩提を弔っていただいた我が家の娘いわく、「おばあちゃんはきっとすごく喜んだはるとおもうけど、おとうさんにはちょっともったいない感じやわ」との由。
そういえば五月の終わり、夫の法要をおえて前庭に出てきた刹那、咲き初めたばかりの夏椿の白らかな花色が眼に飛び込んできて、呆けたようにしばらく見とれてしまいましたっけ。
天寧寺さんはこの冬、いつもは非公開となっている本堂や庫裏、お茶室などを特別公開なさいます。「格別見てもらうところも、おへんのですけど」と先代御住職の奥様は、いたって、つつましやか。
きっと鐘楼脇の南天が、結界沿いの千両や万両が、中庭の椿が、そして神さびた翁のような榧の大樹が、訪れる方々を、おおらかに、またなごやかに迎え入れてくれることでしょう。
天寧寺(てんねいじ)
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説明 |
号は万松山。南北朝期の名将・楠木正成の末男の傑堂能勝が会津に創建し、桃山時代に当地へ移築されたと伝えられています。本尊は釈迦如来で、観音堂には後水尾天皇の念持佛・聖観音像や、その中宮・東福門院の念持佛・薬師如来像がおまつりされています。また往時の住職・善吉和尚は剣術・示現流の開祖で、その流儀は遠く薩摩に伝わり、年月を経て倒幕の武力的な原動力になったともいわれています。 |
住所 |
北区寺町通り鞍馬口下ル天寧寺門前町302(Googleマップで表示) |
交通 |
市営地下鉄烏丸線 鞍馬口駅下車 徒歩6分 |
情報 |
TEL 075-231-5627 |
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