大石内蔵助が出かける際に使った道があるそうですね。
大石道(大石街道)が、その名を冠しています。
大石内蔵助が腰を落ち着けていたのは山科の地。東海道が通る交通の要所。有名な「逢坂関」もこちらにあります。市街地との間には東山があり、当時は農村地帯だったといわれています。
内蔵助が腰を落ち着けていたのは、山科西野山地区だといわれています。閑居先は岩屋寺だとする説が一般的なようですが、明確にここだと断言できるわけではないようです。現在この地には大石神社なるものがあり、この地にゆかりのある大石内蔵助を本尊として祀っていますが、これは1935年(昭和10年)に建立されたもので、当地での内蔵助の人気のほどが伺えます。
この閑居先から一力亭に至る道の一部を、現在では「大石道(大石街道)」と呼んでいます。市内に出る際には使用していたのでしょうが、伏見の笹屋に通う際に利用していたかどうかはわかりません。
現在の大石道は、正直、特に歴史的な何かを感じさせるような道ではありません。通ったという以上の道ではありませんので、観光には全く適していないと言っておきます。