高山彦九郎は、なぜ土下座をしているんですか?
あれは土下座をしているのではなく、拝礼しているのです。
強い尊皇論者であった高山彦九郎にとって、天皇がお住まいになる御所は、崇拝の対象ともいえる存在でした。
幼くして尊皇思想を抱いた高山彦九郎は、18歳のとき京に上り、学者を目指し漢学を学びます。勤王論者として全国を回り、その後念願かなって天皇に拝謁がかないましたが、このような彼の行動こそが彼を危機に陥れることになりました。
彼は京で学者を目指し漢学を学んだ後、死ぬ間際まで全国を旅し、身分を問わず様々な人物との出会いを繰り広げることになります。京都を訪れた際には皇居(御所)に向かい、土下座しての拝礼をしたという言い伝えがあり、銅像の姿はこのエピソードからきたものといえるでしょう(顔はかなり晩年のものといえます)。
昔の歌にサノサ節と呼ばれた、こんな歌があります。
人は武士
気概は高山彦九郎
京の三条の橋の上
遙か皇居を節拝み
落ちる涙は
鴨の水
さのさ
その拝礼は、寂れ果てた皇居を見て崩れ落ちたものかもしれません。