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三条大橋のたもとで土下座している人の銅像があるのですが、この人は誰ですか?
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高山彦九郎という、寛政の三奇人と呼ばれた中の一人です。

「寛政」とは、明治維新から遡ること6、70年前の、1789~1804年の年号です。1790年には、幕府により、儒学の一つ朱子学が官学として正式に決定され、鎖国政策の強化と共に、長期の安定によりどこか揺らぎのあった徳川幕府を中心とする武家社会の再確立を図りました。

高山彦九郎は、1747年に上野国新田郡細谷村(現在の群馬県太田市細谷町)に生まれました。裕福な農家の生まれであったとされますが、新田の名が示すとおりこの地は新田義貞の領地であり、祖先は重臣であったと言われます。
後醍醐天皇を支えた新田義貞の家臣ということからか、幼少に「太平記」を読んだ彦九郎は、南朝が正統とならなかったことに憤りを覚え、強い尊皇思想を抱くことになります。彼は京で学者を目指し漢学を学んだ後、死ぬ間際まで全国を旅し、様々な交流の中で伝えられた彼の意志は、彼の死後、水戸や九州を中心として明治維新の根本を成す尊王論として多くの人物に影響を与えることになります。

一方、当時の徳川幕府からすれば、彼の行状は幕府に反逆心あり見えるものであり、幕府の手によって身柄を拘束されたこともありました。幕府から要注意人物とされた彼は何かと行動に制約を受け、そうしたことが積み重なってのことか、1973年九州は久留米の地で、高山彦九郎は自刃して生涯を終えることになります。