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神泉苑はなぜ小さくなったのですか?
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ごらんの通り、二条城の造営によって小さくなりました。

神泉苑は禁苑・禁池ですから、民衆の立ち入れるところではありませんでした。とはいえ干ばつの時には池の水を提供することはあったようです。また、824年に弘法大師が祈祷を行って北印度から竜王を呼び寄せてから、神泉苑は東寺に預けられたといわれています。
しかし、鎌倉時代に入り武士の治世になると、天皇や貴族の力が弱まったこともあり、都はどんどん荒廃していきます。神泉苑も例外ではないようで、室町時代になると、干ばつ時に祈祷を行う際の庭園を掃除する役職が設けられていたといいますから、普段はかなり汚かったのでしょう。

そんなこともあってか、1602年徳川幕府により二条城が本格築城されると、神泉苑の北側約1/3が削り取られ、池の水も堀に回されてしまいます。二条城の東南に、「神泉苑 東端線跡」の石碑があります。

土地の転用は続き、町屋の建築のために地所が削り取られたこともありました。周辺の民家の下には、当時の池が眠っているところもあるのです。その後今の広さになったところで、ある僧侶の嘆願が聞き入れられ、正式に東寺所属の寺院となりました。

竜王は今も池に住んでいるとされていますが、昔と比べるとかなり住みにくくなっているんでしょうねえ。