京都新発見サイト 逸都物語

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一休さんはそんなに頭が良かったのでしょうか?
プリント 

大変頭がよかったのは間違いないようですが…

一休は6歳の時に出家し、26歳の時に悟りを開いたと言って寺を出るまでは非常に厳しい修行を行っていました。わずか13歳にして詩を読んだと言われ、その才能は都でも有名であったといわれています。

寺を出てからの一休は、80歳を超えるまで権力とは一線を引いた生活を営んでいました。天皇家の血縁ということは当時は知られていなかったといわれていますが、僧侶としても当代一流であったといわれる一休は、様々な寺に請われながらもそれを拒み、独自の活動を続けました。若い頃は諸国を旅し、81歳に大徳寺の住持となっても、依然酬恩庵(しゅうおんあん)と呼ばれる庵を中心に活動していたとされます。この庵こそが現在の一休寺の元となっています。

詩歌や絵に優れていたと言われ、当人の著作となるものには「狂雲集」「自戒集」などの詩集が存在します。狂雲子というのは本人の雅号ですが、ここからもわかるとおり、かなり自由奔放で毒の強い人物です。仏教の戒律を破る他、様々な奇行の数々。「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」という歌といい、かなり独特な思考の持ち主だったといえます。

頭がいいことは事実なのでしょうが、かなり付き合いにくい人物だったようですね。